那覇港の歴史:1264年英祖が泊港に公館設立(起源)→14世紀明との朝貢貿易開始→1429年琉球王国統一・大交易時代(万国津梁の鐘1458年)→1609年薩摩侵攻→1853年ペリー来航(浦賀より先)→1854年琉米修好条約で開港→1879年琉球処分→1899年関税法開港指定→1907年近代港湾工事着手→1944年十・十空襲で壊滅→米軍接収・軍港化→1972年沖縄復帰・重要港湾指定→1995年とまりん完成→2002年那覇港管理組合設立→2014年クルーズターミナル供用→2019年クルーズ260回全国1位→2024年第2クルーズバース供用。那覇軍港(約56.8ha)は1974年返還合意以来50年以上未返還、浦添移設で2028年度以降返還予定。
那覇港は琉球王国の大交易時代から570年以上の歴史を持つ沖縄の海の玄関口です。14世紀の中国朝貢貿易から始まり、ペリー来航、沖縄戦での壊滅、米軍統治、日本復帰、そして現在のクルーズ拠点港へと変遷を遂げてきた那覇港の歩みを時代順にたどります。
琉球王国と大交易時代(14〜16世紀)

1264年に中山王国の英祖が泊港に公館(泊御殿)と公倉を設立したのが那覇港の起源とされます。14世紀に中国・明王朝との朝貢貿易が始まり、1429年に尚巴志が三山を統一して琉球王国を樹立すると、那覇港は東アジア有数の国際貿易港として黄金時代を迎えました。
中国・朝鮮・日本・東南アジア(シャム、マラッカ、スマトラ等)と広範な中継貿易を展開し、1458年に鋳造された「万国津梁の鐘」には「舟楫をもって万国の津梁となし」と刻まれました。琉球はまさに「海の交差路」でした。
薩摩支配とペリー来航(17〜19世紀)

1609年の薩摩藩侵攻後、琉球は薩摩と清への両属体制となりましたが、中国への朝貢貿易は継続されました。1853年にはペリー提督が黒船で那覇に来航して首里城を訪問。1854年に琉米修好条約が締結され、那覇港が開港されました。これはペリーが浦賀に来航する前年のことで、那覇は日本の近代化の最前線にいたのです。
近代化と戦争(明治〜昭和)

1879年の琉球処分で沖縄県が設置され、1899年に関税法による開港指定を受けました。1907年に本格的な港湾工事が着手され、1915年に1,200トン級3隻同時係留可能な桟橋が完成。大正期には3,000トン級対応の145m岸壁が完成し、1941年頃には4,500トン級含む計4隻同時接岸が可能な規模に成長しました。
しかし1944年10月10日の「十・十空襲」で港湾施設は壊滅的被害を受け、使用不能となりました。
米軍統治時代(1945〜1972年)

壊滅した港は米軍に接収・改修され、20,000トン級が接岸可能な規模に拡張されました。国場川南岸の約55.8haは「那覇軍港」として米陸軍基地に指定。ベトナム戦争時代(1960年代)には軍事物資の最重要拠点として機能しました。1954年に北岸が琉球政府に、泊港が那覇市に返還され、民間管理が始まりました。
日本復帰から現在へ(1972年〜)

1972年5月15日の沖縄返還に伴い、那覇港北岸・泊港・新港を一元化して重要港湾に指定されました。主な出来事を時系列で整理します。
1974年に最初の港湾計画が制定されると同時に那覇軍港の移設条件付き全面返還が日米間で合意。1995年にとまりんが完成し、2002年に那覇港管理組合が設立。2009年に泊ふ頭大型旅客船バースが暫定供用を開始し、2014年には那覇クルーズターミナルが正式供用されました。2019年にはクルーズ船寄港260回で全国1位を達成。2024年2月に第2クルーズバースが供用開始し、同年4月にMSCベリッシマが初寄港して22万トン級対応の新時代が幕を開けました。
那覇軍港の返還問題

約56.8haの那覇軍港は1974年の返還合意から50年以上が経過した今も返還が実現していません。浦添市への移設計画で進行しており、2023年に代替施設の位置・形状が日米合意されました。現在は環境影響評価手続き中で、返還時期は「2028年度またはその後」とされています。返還後の跡地利用は那覇市の都市計画にとって最大級のプロジェクトになると見込まれています。
※ 2026年5月からは久米島オーシャンジェット(ジェットフォイル「つむぎ」)が就航し、那覇⇔久米島間を約82分・片道7,800円で結びます。従来のフェリーと飛行機に加えた第3の選択肢として注目されています。










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